ゲームやる上で考えてること(前編)

こんばんは、御辞江丸です。


今回は少しお真面目な内容になるかな?

明日は大雪だね。間違いない。

以前Twitterで零したことをここでまとめておこうかなと思ってます。


まずこの記事を読む前に踏まえておいて欲しいことがあります。

あくまでこれは「個人の見解」です。こういう意見持ってんだって程度で見てください。

これこうしろとか言われても相当心に響かないのであれば私は取り入れたりはしませんので、そこを踏まえて読んでいただければ幸いです。


先日ですね。WoTにあるXVMというmodについてのツイートが流れてきました。

このXVMとは、バニラでは見れない敵味方のレートを色で簡易的に見ることのできるmodです。暖色に行くにつれ弱くなり、青みがかかっていくにつれ強いという指標となっています。

これにより、強い奴が敵に多いからこっちが不利だなだったり、ある程度のマッチングでの有利不利が分かるようになるんです。

問題はここから。そのマッチングを見て「あ〜これ強い奴少ないから負けたわ」とか一々文句垂れる人がいるってことです(言い方クソ悪いけど)。

このツイート主は「文句言う前にどれだけ成績残せるか考えなよ」という意見でした。


でも私がこのツイートを見て思ったのは少し違うんですよね。

私はこのXVMでみると黄色という暖色に当たる雑魚です。そんな私から見れば「強い奴が少ないから負けだわ」が「雑魚しかいねぇから負けだわ」に取れるんですよね。


雑魚なめんなよと。

確かに私は雑魚だ。色は暖色。一概にも強いとは言えない。

だけどひとつひとつ知識を積み重ねて奮闘しているのも確かだ。日々試行錯誤を繰り返している最中だ。

私だけじゃない。ほかの暖色の人だってこのタイプのプレイヤーは必ずいる。確実にいる。これは言いきれる。

そんな連中を「雑魚」一言で一蹴するんじゃねぇよ。そう私は思った。

あんたアレだぞ。義務教育課程の真っ只中の小学生に「え?お前、因数分解もわかんねぇの?www雑魚じゃんwww」って言ってるようなもんだぞ。


とりあえずこれについてはここまでにしておく。

こういう力量でマウントを取ってくる人間がいるのを実感すると毎回思い出す言葉がある。


「下手を蔑むな、来た道だ」


この言葉は文字通り「お前にもこのような時期があったんだから下にいる奴を馬鹿にするんじゃないぞ」という意味だ(別の解釈の仕方があればぜひ教えて欲しい。皮肉なしで普通に気になる)。

私はこの言葉をSplatoonの界隈で活動している時に知った。当日の私はこの言葉にハッとさせられたことを覚えている。


誰しも下手な時期はある。私は誰でもスタートラインは平等で、努力で才能関係なしで腕を磨くことが出来る。

もし文句を言っているあなたにもともとWoTの才能があった場合だとしても、下手な時期が無かったと言いきれるだろうか。



少々脱線させてもらうが、才能とはDLCのような追加要素ではないと思っている。

才能は努力をつみかさねる際の土台となるものだ。決算で+αされるものでは無い。


どんな人間でも努力で得られる力を100とし、才能を10とする。そして才能がある人とない人を努力の限界値まで育成して比べる。

そう比べると、凡人の方は才能の壁というものににつきあたるのは分かって頂けるだろうか。

才能がある人は110。凡人は100という結果に落ち着くだろう。


さてこの数値を棒グラフと表した場合、あなたは才能をどこにおいて考えるだろうか。


私は努力の数値は下にあるものだと思う。


努力値を振ってから+α才能ではなく、才能があってから努力値が振られるものだ。


同じ速度の陸上選手が100m走をさせて90m辺りで突然ストップさせて才能ある方が+10mしてゴールではなく、才能がある人は10mスタート地点がゴールに近いだけ。だから早く着く。


才能は土台、下に来るものだ。


このように土台が下にあるということは、いかに才能なあろうがそれ以上の努力をされれば抜かれるということだ。


それを証拠に文句垂れる人達でも繰り返しプレイすることにより努力を積み重ねてきているはずだ。現にあなた達は後から追いかけてくるプレイヤーに抜かれることなく勝てている。


それをなんだ、突然自分がずっとここにいましたと言わんばかりに見下すのは。

先程の数学の例でも同じ、あなたも義務教育課程を通過したからこそ因数分解が理解できた。


誰でも同じ道は通るものだ。

だからこそそこで実力でマウントをとるのは違うんじゃねぇの?

と私は思う。


題名とおり前編は話題のキリがいいのでここまで。

何かしら感想があったり意見も聞いてみたいので滅茶苦茶な文章ではあるが感想を下さると嬉しいです。


それでは