MKZのおちんぽ従順化進行中について

 先日、ブルマかタイツだの、ニーソとソックスだのどちらがいいかの論争があったらしい(残念ながら私はそこに居合わせないかった)。


 だんだん私の過ごしやすい環境に染まっていくのを見てMKZがとうとう私に追いついてきたと実感する。追いついてしまった時点で道を踏み外していることに気づくことに時間はかからないだろう。


さてこの事件に関して私が言いたいことだが。

あえて言おう「無駄な争いである」と。

理由としては2つ存在する。


まず性癖というものは人の数ほど存在し、強制したところで本人の性癖は変わらない。せいぜい性癖が歪むのは幼少期でのアダルティなコンテンツとの遭遇、またはそれをも凌駕する性的衝撃くらいだ。


つまり「ここで論争したところで何も変わらない」のだ。争いは何も生まないの模範的な例であろう。


続いて2つ目の事だが、まず踏まえておいてほしい事がひとつある。

オナニー等々で迎えるエクスタシーは食事と酷似しているということだ。

まず性癖というものは「興奮する条件」ではなく「こうだったらより興奮するな」というエクスタシーというメインディッシュに必要となるスパイスである。

実際その性癖でなければ絶頂を迎えられない訳でもない上に、毎日味付けの献立だと飽きが来る。


ここまで来れば性癖は「香辛料」などのスパイスであるということが理解頂けただろうか。


ここからが本題だ。性癖による論争は16世紀頃のヨーロッパ人と同等なほど時代遅れなことをしているということだ。

時は16世紀。スペインやポルトガルを筆頭に様々な国が香辛料をめぐって争った「スパイス戦争」と呼ばれる出来事があった。

性癖をめぐって争うことは香辛料を巡って争うと同義。


つまり「性癖をめぐって争うことは16世紀頃のヨーロッパ人並に時代遅れ」なのだ。


現在は21世紀。400年の時を経て、文明を発達させ続けてきた。だと言うのにここで16世紀頃の人間達と同じようなことをすることはとても愚かなことではないかと私は思う。


こんなことで争うことなど無意味だ。お互いに尊重することが今を生きる人類のあるべき姿ではないのだろうか?

ぜひ考え直してほしい。あなた方なら理解出来るはずだ。私はそう信じている。












ちなみに私はニーソと太ももの境界線に生まれる食い込みが大好きだ。

異論は認めない。万が一これを否定する愚かな人間がいるのなら私は全力で叩き潰す。

せいぜい戦争の火種にならないことを祈ろう。


それでは