私の祖母は絵が得意でした。
景色のいい場所に赴く機会があれば水彩用具やスケッチブックなどをいつも持って行っていたそうです。
私の知らない祖母でした。
それもそのはず。祖母は若くしてから病を患っており、元気にひとりで動き回れていた姿を見れていたのは私が小学校低学年まで。
それ以降は実家に帰省して出迎えてくれる場所は、家に入ってしばらく進んだ居間にあるソファに座っている姿くらいでした。
その姿はやがて見れなくなり、次は病室で出迎るようになり。
やがて祖母は帰らぬ人となりました。私が小学6年生。祖母は69歳でした。
水墨画も嗜んでいた祖母の生涯最後の作品は我が家の和室に飾ってあります。
そんな祖母はよく私の絵を褒めてくれました。
当時はよくガンダムの絵でも描いていたと思います。チラシの裏に親父の幼少期作らずに終わっていたプラモデルのパッケージを模写していたり、当時ハマっていたカービィ辺りでも描いていた記憶があります。
幼馴染が私が現在絵を描いている事を知っているのでたまに「お前、また絵上手くなってるんだな。すごいじゃん。お婆ちゃんを思い出すよ」とよく話が出たりします。
すまねぇ親父。ばあちゃんみたいな大層なもん私は描いてねぇ。
このブログ見れててTwitterも知ってる方ならご存知だと思いますけど、そんな大層なもん描いてないのが私。
Twitterで伸びたりしたのは推しの誕おめイラストだったり、pixivに至ってはランキング載ったのはエロ絵って言うね。
天国というものがあったとしたら婆ちゃん今頃どんな顔してんだろうなぁ…
クソ長い前置きでしたね。もはや本文やぞ本文。長い移動時間にお使い下さいませ読者様方。
さて、私の絵に対する人生を厳密に話しすぎると幼稚園児から始まってしまいますので、「物心がついた時期」あたりから始めて行きましょうか。
時は遡って私が小学三年生。2008年くらいですかね。年齢バレちゃうけどクソガキなのは事実だからね。
私、母親の仲良しグループの繋がりの幼馴染がいまして。そのうちの一人が「星のカービィ」の漫画を書いてるのを幼馴染の家に遊びに行っていることを知りまして。
そこで思いました。
「面白そうだ。僕もやる」と
んで家に帰って、チラシの裏を使って早速描き始めたのを覚えています。行動力の化身だぁ…
面白いことにこの時は四コマ漫画の「コマ」そのものを知らず、しょうもない事をただただ描いていました。
それは家だけに飽き足らず、学校で自由帳も開いてやるハマりっぷり。ずっっっと描いてた記憶があります。
そんなある日ね、ある子が「何それ!俺もやる!見せ合いっことかもしようぜ!」とか言ってやり始めた友達も出来ました。
そいつ去年東大現役合格しました。どこで差がついたんだろうね。うん
時は経って小学六年生。クラスに係の制度があったんです。それに「職業みたいな係を作ってみよう」というクソ面白いことしまして。(教員になれたらこれやってみたいなと思ってたりもする)
私と先程の彼筆頭に「漫画家係」を結成。クラス雑誌を描き始めました。
題名は「しまとぷち」猫が主役のギャグ漫画です。たまに作者本人や他の奴が描いた漫画のキャラが出たりしてました。
たまに担任が登場してあらゆることを拳で解決するヤバいものも描いてました。(強面だったからね。仕方ないね)
担任の先生、なんと喜んでくれまして。いい先生だったんだなぁと今振り返るとしみじみそう思いますね。
そんな馬鹿騒ぎした小学生を経て、中学時代。
中1は描いてる余裕なかった。むしろ絵すら描くことがなかった。
中学時代の試練。その名も「定期テスト」。
奴はとんでもないものを盗んでいきました。
私の「時間」です。
成績は奮わず、塾に放り込まれ勉強漬けの日々。
唯一の救いはモンハン。順位伸びなきゃ没収。地獄。地獄中の地獄。
そんな中、私はある日YouTubeで「棒人間バトル」に出会います。
落書きでクソ描きました。それの成れの果て最近の棒人間ですね。棒人間のなのに人外を描く暴挙。
中1はそんな感じでした。
運命の年、中2。
「8月15日の終戦記念日なんて知ったこっちゃない」と言う発言で炎上したファンを作り上げた「カゲロウデイズ」、私は当時この小説(ボカロからじゃなくて小説から入ったんです私)をおすすめされて読み始めました。
何より衝撃を受けたのが絵。やばい。なにこれ。これ描けるようになったらすごくね。
何より強かったのは「運動できない私でもこれでなら人より輝くことができるかもしれない」ってのもありました。
この想い、けっこう大きかったです。
私のいたクラス、あるグループがありまして。いわゆるオタク入ってる男女でコミュニティが築かれており、私はその中で「素人絵描き」(えろい…←)としての立ち位置にいました。
そこにいた人達はまぁ、優しかった。むしろ是非描いてくれという人達。優しいね。Twitterの過激派とは大違いだ。
そこで私より上手い人が「模写の練習するなら、私が描いてほしいもの印刷して持ってくるから描いてよ!」とね。私は首を縦に振りました。
ここから怒涛の練習地獄が始まり、中3まで続いていくわけです。
くっそ長くなりました。一旦休憩を挟みましょう。
続きはまた次回にしようかなと。ここまでお読みいただきありがとうございました。
それでは次回また会いましょう。